啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

諦観を超えた社会不安

  誰かが何かをしてくれるという当てのない幻想が崩壊したとき、やりばのない不満が社会不安に繋がっていくことを恐れます。
 しかし、みんなで考えて、しっかり実行すれば必ず解決の方向性が見いだせると思います。
 国民の資産が国債という形に変換されたお金が、いろいろな社会資本に投入されました。その社会資本を享受できたものもあれば、無駄遣いになったものもあります。
 すべての社会資本投資が成功するとは限らないので、ある確率で無駄遣いのようなものは出るでしょう。
 しかし、自分達のお金がある返還リスクの元に社会資本に投資されているには、あまりにいろいろなことを知らなさすぎる感じがします。
 それよりも、どういう社会になっていくのか、どういう社会にしたいのかのビジョンを描けていないのが問題なのでしょう。
 たしかに、阿部内閣の阿アベノミクスは、十分とはいえないまでも、少しビジョンを我々に見せてくれています。ここに現内閣への期待感が、都議選などの結果として表れてきたと思われます。
 しかし、自分自身が思う次の社会の描像、自分の子供たちに見せたい次世代の社会、自分がその建設に貢献したい社会、そんな社会ビジョンの能動的な提示と議論を時代が必要としているのではないでしょうか。