啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

(火) 「新型コロナ検査をできるだけしない」方針の破綻

 韓国における「徹底して多くの新型コロナの検査を行なって陽性者と陰性者の区別をおこなう」方針で感染症対策を行う方式と、日本における「できるだけ検査を行わずに、症状が明確に出た者だけに検査を行なう」方針の方式は、その方針の違いが正反対であることから国際的な注目を浴びて来ました。

 しかしながら、その結果は早くに分かってしまいました。つまり、韓国が感染対策の成功例として国際的に大いに認識されているのに対して、日本の方はむしろ国際的には今後のさらなる感染拡大が心配されてきている状況が出ているのです。この1週間ほどは、非常事態宣言が遅まきながらも発令され、各地方自治体の努力もあって、新規感染者数の増加スピードがそれ以前の週より鈍ってきているものの、すでに韓国における感染者数を日本は超えてしまいました。

 もちろん感染対策の成否は、感染者数よりも死者数で比較すべきだという意見もその通りと思いますが、重症者対策に医療資源を割くために「検査をできるだけ行わない」方針の論理が、実際の医療現場では破綻していることを認識しなければなりません。

 「検査をできるだけ多く行なう」方式は、確かに検査体制やそのコストはかかりますが、いち早く陽性の人を特定して、その人の症状やハイリスクグループに入るかどうかなどによって病院に行くべきか自宅やホテルで自己隔離すべきかを判断して、医療資源の適切な配分を即時的に可能とし、結果的に重症者への医療資源の重点的な配分ができるとともに、医療破綻からの回避を効率的に可能としたのでした。

 一方、「検査をできるだけ行わない」方針は、陽性か陰性かわからないまま病院を訪れる患者の人達に対して対応する医療従事者は、全員が「陽性」と想定して対応しなければならないため、またそのひとり一人に対する対応の手間と時間が「検査」以上に要するため、医療従事者の負荷が増大しているのです。つまり、「検査をあまり行わない」ことにより陰性の人達にも陽性の人達と同じ対応をする分、医療資源をもったいない程に無駄使いしているのです。これでは、現場の命懸けで対応にあたる医療従事者の方々の負荷と疲労は蓄積するばかりで、むしろ医療破綻を加速させているとさえ言えるのかも知れません。

 つまり、「検査をあまり行わない」方針は、すでに破綻していることを認識する必要があります。重症者に医療資源を重点的に振り向けようとするならば、「検査をできるだけ行なう」方針に転換する必要があるのです。

  ただ、ここで注意が必要なのは、もし一般の人達が社会(的)距離をしっかり守って感染者数の増加をこれ以上にならないように抑えられるとすれば、確かに圧倒的多数は陰性の人達なので、いわゆる「コミュニティ・テスト(community test)」と言った地域住民の全員の検査というのは、陰性の人達ばかり検査することになり、検査資源の無駄使いということになります。

 日本の場合には検査は医療従事者が行なうことが強く推奨されていますが、最近に歯科医師も検査ができるようになりました。一方、米国のニューヨーク州ではドラッグストア(薬局)でさえ行なうことができるようにすると州知事が最近に宣言しました。

 また、議論はあるものの楽天が自分で検査できるキットを発売して来たり、島津製作所がウォークイン型の迅速な検査キットの開発に成功するなど、検査の技術革新が次々と起こって来ています。PCR検査だけでなく、検査結果が直ぐに出るタンパク質をターゲットとした抗原検査や抗体検査も可能となってくるでしょう。

 もっと大事なことは、感染者の唾液に大量なウイルス粒子が含まれていることが、だんだん分かって来ました。唾液を飛ばすエアゾルで感染する確率が高いことを考えれば、それは当然といえば当然なのですが。もし唾液でPCR検査が可能となれば、今の鼻腔に長い綿棒を突っ込んでやる方式よりずっと簡便となります。

 鼻腔による検査をその二次感染の可能性から敬遠するお医者さんも、唾液検査なら患者さん自身にやってもらってその試料を直ぐに貰えばいいだけなので、十分に対応可能となると思います。

 おそらく、韓国方式の成功は、国を挙げて多くのベンチャー企業などが検査キットの開発を同時に行いながら新方式を次々に即応的に投入することによって、検査資源の投入コストを格段に下げるとともに、医療資源の節約に貢献させたことによるものと思われます。

 この検査資源と医療資源の明確な区別化と、その感染者数の増減に伴う両資源の動的な洞察が欠如していたことが、日本における検査方針の破綻を招いていることの主な原因であることに十分注意払う必要があると思います。

 もちろん、社会(的)距離の遵守による実経済の停滞という経済コストも考慮しなければなりません。そして、教育に対する考慮も必要なのです。

 したがって、このようなパンデミックに対する対策は、感染症の専門家だけでなく、様々な専門家の意見を総合して集約させて、政治家や行政の方々が個々の政策としてタイミングよく打ち出せるシステムが必要であることが分かります。なんとか、現在の検査方針を早急に見直して、そういうシステムが早く構築されてて、より有効な総合的な感染対策がなされることを願うばかりです。