啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

集団的自衛権

とくに現在、「集団的自衛権」が国会で活発に議論されている中、米中の熱い摩擦には、ますます平和的な解決が急務となっています。
集団的自衛権」は、この日本語が内容の意味を分かりにくくしています。英語では、「Right of collective self-defense」となります。現行の日本国憲法では、「self-defense」つまり「個別的自衛権」は認められています。いわば、正当防衛という立場です。
では、「collective」というのはどういうことかと言いますと、「The invention was a collective effort. (この発明は、皆んな(個々の人達が協力しながら一緒になって行った)の努力の結果です。)」という例文が示すように、「個々が集まって一緒になって」という意味になります。そうです!「コレクション」(収集: Collection)という名詞の形容詞形と思うと、意味が分かりやすいですかね。
つまり、例えば、友達と二人で夜の街を歩いていたとしましょう。そして、突然、ある暴漢が凶器を持って友人に襲いかかってきたとしましょう。このとき、襲われた友人は、自分の身を守るため暴漢に反撃しようとします。これが、「自衛権」とか「個別的自衛権」と言われるもので、当然認められています。そこで、横で暴漢に襲われている友人を見殺しにはできないと、自分も友人と一緒になって暴漢に反撃を加えるというのが、いわば「集団的自衛権」ということになります。
つまり、日本と米国が日米安保条約という同盟関係を結んでいる中で、日本が他国から攻撃を受けたときは、米国も一緒に反撃することになっています。一方、米国が他国と戦争状態になったとき、日本も一緒に反撃できるかというのが問題になっている訳です。憲法第九条は、「戦争放棄」という観点から集団的自衛権を認めていないという解釈が前提でした。大学で教員資格の獲得のために必須であった「日本国憲法」という科目での授業で、「集団的自衛権の行使は、これを認めない」ということを、やくやく教え込まれたように今でも記憶しています。
一方、世界的な状況が戦後70年を経過して激変した中で、日本の防衛政策が見直さざるを得ないところもあるのです。このあたりが、議論の難しいところでしょう。
ちょっと予想するだけでも、簡単に想定できるほどの現実的な「熱戦」が見通せるような危うさが今そこにあるだけに、人間としての英知が試されているのかも知れません。