教授がまだ20歳代で大学院生やポストドクだった頃、大学の教員であった助手になるなんて、「夢のまた夢」でした。
特に、生物学は「飯の食えない分野」の典型で、「生物学で飯が食えるか?」という題目のシンポジウムなども、本当に行ったことを今でも覚えています。
訳も分からず、「なんとかなる」精神で、アメリカなどに渡ったものでした。
大学の教員への就職状況は、今よりはるかに難しいかったのかも知れません。
しかし、「なんとかなるさ!」が「なんとかならない」ように思える現在。「なんとかなるさ!」の言葉が信じられない時代。
今の若い人たちは、将来の生活設計をしっかり建てすぎているのかも知れません。
「なんとかなるさ!」と、しっかりと声をかけてみる勇気も、我々教授レベルの人達が若い人達に必要なのかも知りません。