啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

メンター制と人生の孤独

KAUST(アブドラ国王科学技術大学)には、大学院生に対する「メンター」制があります。
以前、この日記でもご紹介したように。「メンター(Mentor)」とは、大きな意味での「先生」・「恩師」という意味です。しかし、KAUSTでの「メンター」制といのは、一人の大学院生に対して、その指導教員ではない教員がついて、「指導教員とはうまくいっているか?」とか、「生活は大丈夫か?」とかを聞いて、その大学院生の相談ごとにのるような教員を「メンター」と呼んでいます。(遺伝研では、このメンターを4〜5名からなる委員会が受けま追っています。)
 教授は、初めて4名の大学院生のメンターになるように頼まれて、それぞれ個別に時間をとって、インタビューをしました。
 ほとんどの大学院生は、問題もなく順調にやっているようですし、そのような回答が戻ってきます。しかし、少し突っ込んで話をし、お互いに気のおけないような雰囲気が出てくると、自分の過去の境遇や経験の話も自然と出てきます。日本と違って、KAUSTの大学院生達は世界各国からいろいろな背景の下にKAUSTにきていますので、その事情も複雑です。
 そこで、教授が感じたことは、みんな孤独と向き合って生きており、現在もその状況にあることです。いつも、人生の孤独と向き合っているのです。
 インタビューした大学院生達のほうが教授よりもKAUSTの滞在期間がもちろん長いのですが、教授はKAUST就任早々で忙しく自分のことを考えるだけで精一杯でありました。出来るなら、だれかに優しい言葉をかけてもらいたいとさえ思っていたこともあります。
 しかし、声をかけてあげなければいけないのは、教授のほうでした。「包容力」というか、英語でいえば「ケア(Care)」こそが、教育の原点。
 よく考えると、これは、親元や家族を離れてサウジアラビアという遠隔の地の大学に来ているからではないことがわかってきます。実は、日本の大学院生もポストドクの人達も、人生の孤独と戦っているのです。それを支えてくれる人がいるのです。それが、真のメンターなのです。
 メンターにはメンターがおり、そのメンターにはまたおります。しかし、年を取ってきますと、自身のメンターの多くは亡くなっていることも多くなります。したがって、シニアな人ほど人生の孤独と深く戦っているのですが、そのことをおくびにも出さず、若い人達を包容力で支えてあげられる、そんなメンターになりたいです。
 
註) KAUSTとは、教授がDistinguished Professorをしているサウジアラビアのアブドラ国宝科学技術大学院大学のことです。