むしろ、ゲノムを「道具」として用いるパラダイムに、その変換が起こってしまっていることを、強く認識しておく必要があります。
たとえば、極端な例として、一つの遺伝子の存在を確認するために、そのゲノムを完全解読するほうが効率的で安価なのです。
もう「そこに山があるから」(*)式のゲノム解読の意味はもうないのです。
さらに言えば、100%連結された完全ゲノムが本当に必要なのかと言う問題にもぶち当たります。目的がはたされていれば、80%解読で十分なことも、多々あるように思います。
つまり、ゲノムを「道具」として使うという考え方に変えてしまうと、自身の興味や今後の研究開発に新しい展開さえも、容易に見えてきます。
問題は、ゲノムを道具として用いるパラダイムへの変換を肌身では感じているのに、実際には旧来のゲノム「科学」のパラダイムで研究してしまうため、どこか中途半端な解析で終わってしまうことです。
対象とする現象や検証すべき作業仮説がないことには、ゲノムが道具として有効に働きません。
オミックス時代に作業仮説の必要性、この一見矛盾したパラダイムの実践こそが、先進性を生み出す土台のように思います。
(*) エベレスト登頂の意味を聞かれて、登山家のヒラリー卿は、「そこに山があるから、山に登るんだ。」と答えたというエピソードに例えて、「そこにゲノムがあるから、解読するんだ。」という考え方。<引用: http://ja.wikipedia.org/wiki/エドモンド・ヒラリー>
「エドモンド・ヒラリー(英称:Sir Edmund Percival Hillary, KG, ONZ, KBE, 1919年7月20日 - 2008年1月11日)は、ニュージーランド出身の登山家、冒険家、養蜂家。
1953年5月29日午前11時30分(ネパール時間)、テンジン・ノルゲイと人類初となるエベレスト山頂到達に成功。
「なぜエベレストに登るのか?」の質問に「そこにエベレストがあるから」(「そこに山があるから」は誤訳)と答えたと、しばしば勘違いされている。これは英語圏においても同様である。この言葉はジョージ・マロリーによるものである。ジョージ・マロリー#「そこにエベレストがあるから」(誤訳:「そこに山があるから」)を参照のこと。」(Wikipediaより)