啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

新神戸の悲劇

  本日の分子生物学会大会での予定やいろいろな人達との会談も終わり、教授はまた実家の福岡に一人向かうため、山陽新幹線の夜汽車に乗りました
 この日は、何故か忙しくお昼も食べられないまま、またルミナリエなぞは見るべく暇もなく、神戸ポートピアから三宮経由で新神戸駅に急行した次第でした。
 空腹に耐えかねて、何とか新神戸駅のいくつかのショップを見渡して駅弁を探しますが、値段の割りに見栄えがいい駅弁が目につくだけで、なかなか満足感のあるような弁当が見つかりません。
 すると、以前の新神戸駅にはなかったコンビニが改札口前の真横にあるではありませんか。早速コンビニの中に入って弁当売場を覗くと、「390円弁当!」と大きな文字で書かれたシールが張ってある弁当が否応なしに目に飛び込んで来ました。大きなメンチカツのようなフライが存在感を誇るような量もたっぷりの弁当です。 
 空腹という欲望に負けても人間性が崩壊するわけでもないといったわけのわからない納得を自身にさせる暇もなく、ここで買わなかったら後で後悔するのは必至。でも、気づいたらすでに弁当を手にしていました。
 新幹線の出発時刻も迫っていることから、その弁当を片手で持って、レジへ一目散。レジに向かう途中、心なしか手のひらで「390円」の文字を無意識に隠そうとする自分がいて、少し自己嫌悪に陥りました。そういえば、「赤じゅうたん系」と思われていた教授も、「先生は、赤ちょうちん系だったんですね。」とまた軽蔑に似たイメージのさらなる低下を心の底から不安に思いながらの行動だったんでしょう。
 しかし、しっかりと掴んだ片手で、ときおりペラペラのプラスティクのの弁当箱が大きくたわむほどに、あの大きなフライが弁当箱から落ちんばかりに見え隠れするほど重量感に、手ごたえのある満足感を持っていたのも確かでした。その後起きる大きな悲劇を予想だにすることもなく。

何とか出発時刻に間に合い、指定の座席にも問題なく座れて落着き、ようやくあの期待の重量感に満ちた弁当を口にする時が来ました。お昼から食べていない空腹感とその日の予定がすべて終了した達成感も交錯して、気持はその弁当に集中しておりました。
そして、おもむろにその弁当をとりだし、あの大きなフライの存在を再確認した後、添えられた割りばしを割っていよいよ食べようとした瞬間でした。テレビ映画のスローモーションのように、待望の大きなフライがゆっくりと床に落ちて行ったのです。教授の「あっつ!」というおどきの声が、「あ〜あ」という落胆の声に変わるのに1秒も時間はかかりませんでした。この取り返しのつかない絶望感、そしてやるせない無力感。
私は、この悲劇を今後「新神戸の悲劇」と呼ぶことにしました。
(2010.12.20改訂)