啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

(金) ワクチン・ナショナルリズムとワクチン覇権主義

  COVID-19 (新型コロナ)対策の切り札が、「特効薬」と「ワクチン」であることは疑いのないところですが、最終的な終息はワクチンの登場を待つしかありません。 

 このワクチンの開発が、各国で行われつつあり、それも開発競争の様相を呈してきます。確かに、どの国で最初に実際に接種できるようなワクチンを開発するかで、そのワクチンを最初に接種できるのはどこの国の国民かということになりますので、競争的になるのは理解できるところがあります。

 このため、どれだけ巨額のワクチン開発の資金を投入するかということが、耳目の注目を浴びることになります。

 しかし、この方向がナショナリズム的になってきますと、少し違和感を感じるようになってきます。つもり、マスク外交などはまだマシな方で、ワクチンである種の覇権を争う覇権主義的なことが出ないように気をつけなければなりません。

 競争は、競い合ってワクチン開発を急ぐといういい意味でのインセンティブをもたらします。しかし、それによって世界で一番必要とされる地域にワクチンが正当に投入されるかということになると、必ずしも明らかではありません。

 また、早くにワクチン開発に成功し、いち早く接種できた国民の国が、いち早く経済復興もできてることになりますので、その分様々意味でワクチン接種がまだできない国民の国より優位に立つことになるのは明らかです。

 世界的に競争的にワクチン開発するにしても、本当には、世界的に共通なルールのもとに行っワクチン開発に成功した自国民だけではなくあるいは自国民より先に早急に手を打たねばならない国や地域に優先的にワクチンが接種できるように理想的にはしなければなりません。あるいは国際的な機関でワクチン開発を統括管理するというシステムの導入がいるのかも知れません。

 つまり、ワクチン開発は良い意味でナショナルリズムによりインセンティブを得るという一方、十分に行き過ぎて覇権主義に向かわかないようにすることが大切なように思われます。