啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

日本国憲法13条と65条・73条

日本国憲法第9条:
「第二章 戦争の放棄
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

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日本国憲法13条:
「第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

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日本国憲法第65条:
「第六十五条 行政権は、内閣に属する。」

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日本国憲法第73条:
「第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二 ・・
・・」

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THE PAGE (6月17日 12時0分配信)「なぜ、憲法学は集団的自衛権違憲説で一致するのか? 」という題目での木村草太氏(憲法学者)の解説が、論理的で中立的で非常に分かりやすいです。
それによると、個別的自衛権も含めて考えると、「戦争放棄」を謳った日本国憲法第9条だけでは説明がつきません。ここに、憲法13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」として個別的自衛権を設定し、それを防衛「行政」として65・73条の「内閣の持つ行政権」として行使すれば、日本国内憲法自身が第9条の例外規定を内包するという考え方が、個別的自衛権の合憲化の考え方だったのです。
それでは、集団的自衛権はどう解釈するのかというのが、今の問題となっている訳です。
 その解説の核心部分を、以下に抜粋して引用してみます。
「・・日本国憲法では、憲法9条1項で戦争・武力行使が禁じられ、9条2項では「軍」の編成と「戦力」不保持が規定される。このため、外国政府への武力行使は原則として違憲であり、例外的に外国政府への武力行使をしようとするなら、9条の例外を認めるための根拠となる規定を示す必要がある。
「9条の例外を認めた規定はない」と考えるなら、個別的自衛権違憲説になる。改憲論者の多くは、この見解を前提に、日本防衛のために改憲が必要だと言う。
 では、個別的自衛権合憲説は、どのようなロジックによるのか。憲法13条は「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は「国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定める。
 つまり、政府には、国内の安全を確保する義務が課されている。また、国内の主権を維持する活動は防衛「行政」であり、内閣の持つ行政権(憲法65条、73条)の範囲と説明することもできる。とすれば、自衛のための必要最小限度の実力行使は、9条の例外として許容される。これは、従来の政府見解であり、筆者もこの解釈は、十分な説得力があると考えている。・・」


「では、集団的自衛権の行使を基礎付ける憲法の条文は存在するか。これは、ネッシーを探すのと同じくらいに無理がある。国際法尊重や国際協調を宣言する文言はあるものの、これは、あくまで外国政府の尊重を宣言するものに過ぎない。「外国を防衛する義務」を政府に課す規定は、どこにも存在しない。
 また、外国の防衛を援助するための武力行使は、「防衛行政」や「外交協力」の範囲には含まれず、「軍事」活動になるだろう。ところが、政府の権限を列挙した憲法73条には、「行政」と「外交」の権限があるだけで「軍事」の規定がない。政府が集団的自衛権を行使するのは、憲法で附与されていない軍事権の行使となり、越権行為になるだろう。
 つまり、日本国憲法の下では、自衛隊が外国の政府との関係でなしうる活動は、防衛行政としての個別的自衛権の行使と、外交協力として専門技術者として派遣されるPKO活動などに限定せざるを得ない。」

( http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150616-00000008-wordleaf-pol )