もし五百円の硬貨を持っているとしたら、すぐその裏面(どちらが面面かすぐには分かりませんが)をもてみて下さい。
そこにあるデザインしてあるのが、豊富秀吉の「家紋」と分かった人がいたら、あなたは立派な「歴女」か余程の歴史好きだと言えるのではないでしょうか。
もしそうでなくても、総理大臣の記者会見や政府の公式発表のときによく目にする「紋章」だと、気づく人は多いかも知れません。
皇室の「菊の御紋」は誰もが知っていますが、この「桐紋」の由来をあまり知っている人はいないようです。そういう教授も最近知ったばかりでした。
「豊臣秀吉が用いていた家紋は「桐紋」と呼ばれるものですが、この紋章はもともと菊紋とともに天皇家のみが使っていたものでした。」
「桐紋の「桐」とは、古代中国の神話に出てくる鳥・鳳凰が止まる木とされていて、昔から神聖なものとして扱われていたそうです。こうした風習が日本にも伝わり、日本でも800年頃から天皇の衣類などに使われるなど、皇室のみが利用できる格式ある紋章として使われていたそうです。」
でも、その後、武将達も使い始めます。
「明治時代以降桐紋が日本政府の紋章として使われるようになったためです。もともと桐紋は天皇家が使っていた紋章。その朝廷の政府…という繋がりで、当時の明治時代が桐紋を使い出し、その慣習が今に至るまで続いているだけなのです。」
(引用)
https://history-land.com/hideyoshi-kamon/
なお、「五三桐」の桐紋の上部にある葉っぱの数が右から左へ「3枚・5枚・3枚」とデザインされているものと、「五七桐」のはそれが「5枚・7枚・5枚」にデザインされている2種類があるとのことです。
秀吉は、この桐紋を恩賞として家来にあげていたため、それを大胆にデフォルメした「太閤桐」という紋章を使うになったとのことです。
図柄は、Wikipedia より引用。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/桐紋