啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

(土) 重症化対策に重点をおく日本のCovid-19対策

 日本の新型コロナウイルス(Covid-19)の感染者の数が東京で増えてきました。日本は真剣に感染しているかどうかの検査をしていないと、海外からよく批判されています。米国のNew York Timesは、その急先鋒のように思われます。

 

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.nytimes.com/2020/03/20/world/europe/coronavirus-testing-world-countries-cities-states.amp.html%3Fusqp%3Dmq331AQRKAGYAb_pis7c-uKxrQGwASA%253D

 

何度か批判の記事は出ているようでですが、上記のURLは現時点では最も新しい記事に当たると思われます。この記事では、あからさまに日本を批判した文章はないのですが、冒頭でアフガニスタン-日本の共同病院において、現地の人が感染症でこの病院に来ても、基本的には検査もせず「家でおとなしくしておきなさい。」と日本人の医者は言うだけであったというエピソードを紹介して、日本流のそんなやり方でいいのかということを訴えているように思います。

 また、この記事の中で、「感染者が誰かわからないようでは、この感染症と戦えない!」とか言う専門家のコメントを引用して、感染テストをできるだけたくさん行って感染防止に力を入れるべきだという主張に大いに賛同しているように思えます。

 一方、 「外務省の大鷹正人外務報道官は(3月)2日付で米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)に寄稿し、上智大の中野晃一教授が同紙への寄稿で展開した日本政府の新型コロナウイルス感染対応への批判に反論した。」というニュースを目にしました。時間系列の関係上、上記のニューヨークタイムズの記事への反論ではないけれでも、その趣旨は大いにわかります。

 

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/mainichi.jp/articles/20200303/k00/00m/030/313000c.amp%3Fusqp%3Dmq331AQQKAGYAZCJhaLT5JuHELABIA%253D%253D

 

海外から日本を見ると、感染防止対策がそれでいいのと思うくらいに、緊張感が足りない気がすることも事実です。

 しかし、冷静に状況を分析してみると、日本の重症化対策に重点をおくというのが、とても理にかなっていることが分かってきます。そのヒントは、日々更新される世界各国の感染者数と死亡数の発表値にありました。

 ある人が「感染者の数は当てにならないから、死亡数だけを見よう!」という提案をしてきました。確かに、ポリシーからも日本の感染者数の他国との比較における少なさは格別としても、感染者数がどんなに増えても、そこで重症化して亡くなる方が少なければ、それは感染対策上大変有効に思われます。感染者の数が増えれば、それだけ重症化する人の数も増えますので、感染者の数を増やさないということは重要なことには間違いありません。しかし、軽症であったりほとんど無症状の場合は、他の人にウイルスを移さないということが重要であり、特に感染対策の最前線で活動する医療従事者に感染させないということがとても重要に思われます。

 また、感染者数より死亡者の数の方が、遙かに統計的にもより確かであることは間違いなく、感染対策がうまく機能しているかどうかの信頼できる指標になると思われます。そうすると、どう死亡者を少なくするかに国の限られた医療資源を投入するという考え方は十分に成り立つし、とても合理的のように思われてきます。

 もちろん、検査は全くやらなくていいと言っている訳でもなく、早めに重症者を見つけやすくなるという意味でも、検査は意味があると思われます。しかし、重症化している患者さんや重症化しそうな人々へ最大限の医療資源を振り当てるという原則は、十分に支持されるものと思います。

 したがって、このウイルス感染に効く薬剤やワクチンの開発ができるまで、重症者の方々への医療対策準備が必須となるのでしょう。病院における役割分担やエクモのような呼吸器の増産配備など、日本は感染者数が他国に比べて遅れて増加してきている分、準備の時間をより長く与えられていると思います。 

 いずれにしても、日本のこの感染症対策の基本が良かったのかどうかの評価は、この空前のパンデミックが落ち着いたときに分かるのでしょう。

 このパンデミックの対策に従事する医療関係者や奮闘努力する関係者の方々に、感謝と敬意を表し思いを馳せながら、自分で出来ることを実践していきたいと思います。