啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

(土)「2025年問題」と「多死社会」

 本日2020年1月25日(金)の午後5時頃、ドバイを出発したエミレーツ便が成田空港に到着しました。教授は、個人的な理由でわずか日本に2泊のみ滞在する予定で、この便に乗り継いでサウジアラビアから成田空港に着いたのでした。

 そして、そのまま成田空港から福岡空港日航便で移動したのですが、ジェット気流のせいか(*)、ドバイ空港からの離陸が約40分ほど遅れたのにもかかわらず、成田空港には約30分ほど早く着陸してしまいました。このため、この日航便への乗り継ぎ時間に余裕ができ、成田空港のターミナルビルを行き来する人々を少し観察してみました。

 そうしたら、この季節だからなのかも知れませんが、かなり人が多く行ったり来たりしており、とても混雑していました。基本的にも日本人も外国人も若い人達を多く見かけましたが、ここで思い出したのがいわゆる「2025年問題」です。

 「2025年問題」とは、団塊の世代と言われる人達が「後期高齢者」となるのが2025年という問題です。

 特に旅行特需を引っ張った団塊の世代が、だんだん旅行をしなくなってしまうだろうと言われています。また、全国の葬儀屋さんやお坊さんが大忙しになると言われており、火葬や葬儀も順番待ちになってくるため、遺体の冷蔵保存室が全国的に数多く作られ出していると聞きます。それ以外にも、経済的な大きな変化が出てくることを指摘する評論家も多いようです。

 いわゆる「多死社会」という新造語が出てくるように、社会的に人の「死」が多くなってくる社会の到来とも言えるのかも知れません。