啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

共有する 「サイエンスはギャンブル」観

最後に、聴衆との質疑応答の中で、「先生は、どうして皆んなが見限った材料(GaN(窒化ガリウム))にトコトンこだわったのか?」の質問に、「サイエンスはギャンブルだから!」との答えでした。これは、教授と全く共有する科学研究観で、一瞬ビックリした次第です。
日頃から、教授は「Science is Gamble.(サイエンスはギャンブルだ。)」と言っており、「自分の課題に賭けて」そして「自分に賭けて」行かないと、科学研究をやらせてもらっている本当の意味はない、と公言しているのです。ギャンブルなら勝つように頑張るのが当たり前。勝つ方策を必死で考えるのが当たり前。勝てないこともありますが、そこは勝負として諦める方法もあります。しかし、教授は必勝法があると思っています。それは、「勝つまで諦めずに頑張ること!」。だから、「Never give up!」なのです。「前進あるのみ」。<引用: http://ja.m.wikipedia.org/wiki/中村修二>
Wikipedia中村修二」より。
「中村 修二(なかむら しゅうじ、1954年(昭和29年)5月22日 - )は、日本出身でアメリカ国籍を取得した技術者、電子工学者。学位は博士(工学)(徳島大学、1994年)。2014年度ノーベル物理学賞受賞者。
日亜化学工業在籍時に、世界に先駆けて実用に供するレベルの高輝度青色発光ダイオードを発明・開発。同社の青色LED製品化に貢献するとともに、赤崎勇・天野浩と共同で2014年のノーベル物理学賞を受賞する。また、同技術の特許対価を求めた404特許の訴訟でも有名である。
2000年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校 (UCSB) 材料物性工学科教授に就任。同大学固体照明・エネルギー電子工学センターディレクターを務め、2007年には世界初となる無極性青紫半導体レーザーの開発に成功している。
また、科学技術振興機構のERATO中村不均一結晶プロジェクトの研究統括として、東京理科大学の窒化物半導体による光触媒バイスの開発にも貢献し、信州大学愛媛大学東京農工大学客員教授を歴任。」<抜粋引用: http://a.excite.co.jp/News/economy_g/20141106/Keizaikai_13657.html>

「・・・もしLEDの原理そのものが受賞対象となれば、日本人の貢献度は低く算定される。逆に青色LEDだけが対象なら、中村氏の貢献度が高くなることが予想された。
 今回の受賞は、特許紛争が落ち着いたことがひとつのきっかけといわれる。対象となったのは「高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明」。貢献度は赤崎氏とその弟子の天野氏、それに中村氏で3分の1ずつだった。赤崎氏が青色LEDを発明した名大教授時代に、大学院生だった天野氏にまで受賞者を広げた。
 このため、「青色LEDの発明は、赤崎氏側に大きな比重があると選考委員会が判断した」(科学技術関係者)と受け止められている。政府や財界の一部が「安心した」と漏らすのは、この受賞比率についてなのだ。
波紋を呼ぶ公の場での日本批判
 中村氏は日亜化学を退職した後、01年に特許の対価の増額を求めて同社を訴えた。一審の東京地方裁判所は、日亜化学に対して200億円の支払いを中村氏に命じた。控訴した東京高裁では、中村氏に8億円余りを支払うことで和解が成立した。この時、中村氏は記者会見で「日本の司法は腐っている」と捨て台詞を残した。
 しかし、これだけなら「発明報酬の在り方に一石を投じた」(科学技術関係者)という好意的な見方もできなくはない。中村氏の場合、周囲を困惑させたのはその後の振る舞いなのである。
 中村氏は仁科記念賞、大河内記念賞をはじめ、内外の多くの科学技術関連の賞を受賞している。度々帰国しては講演会の講師や、マスコミのインタビューに応じるのだが、その都度政府や企業に対して歯に衣着せぬ批判を浴びせた。それも「日本で発明なんかできない。やる気があるならアメリカに来い」「日本でメーカーなんてやってても無駄だ」といった攻撃的な内容だ。これでは講演を依頼した企業や団体が困ってしまう。
 まして、一科学者であるのと、ノーベル賞受賞者という肩書が付くのでは発言の影響力が違う。政府の総合科学技術会議や、日本学術会議なども今後、中村発言を黙殺できなくなる。・・・」