啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

晝馬輝夫・元浜松ホトニクス社長ご逝去を悼む

浜松ホトニクスの社長そして会長の晝馬輝夫氏がご逝去されたという報を受けたのは、確か2018年3月31日のことであったように思います。実際に亡くなったのが3月29日で、マスコミ一斉に報道されたのが2018年4月1日であったと思います。
晝馬輝夫元社長には、弟様で元常務の晝馬日出男様とともに、大変お世話になりました。国立遺伝学研究所が同じ静岡県三島市にあるということもあって、故富澤所長以下遺伝研教授連を10人以上で浜松ホトニクス社に見学させてもらいに行ったこともありました。また、定例の光科学の国際シンポジウムで、シドニーブレンナー博士とともに共同座長をさせていただいたこともありました。
また、井村裕夫先生の京都でのご退官の会でご一緒になり、気さくに車で新幹線の駅まで送っていただいたことも、昨日のように覚えていります。
日本のノーベル賞物理学賞を2人も受賞されるのに大きく貢献されて、大きな時代を築かれた偉大な方でした。心からご冥福をお祈りいたします。


日本経済新聞も「昼馬輝夫氏が死去 元浜松ホトニクス社長」という見出しで、2018年4月1日 17:24発信で報じています。
「昼馬 輝夫氏(ひるま・てるお=元浜松ホトニクス社長)3月29日、多臓器不全のため死去、91歳。連絡先は同社社長で長男の明氏。
社長在任時に岐阜県ニュートリノ観測施設「カミオカンデ」などの中核部品となる光電子増倍管の開発を請け負い、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏や梶田隆章氏の研究を技術面で支えた。」と。

引用: https://r.nikkei.com/article/DGXMZO28857720R00C18A4CZ8000?s=1