啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

パーソナルゲノムで自分のゲノムを見てみたら・・・

 パーソナルゲノムで自分のゲノムを見てみたら、きっとガン遺伝子の対立遺伝子はもつは、パーキンソン病に感受性のある対立遺伝子はもつは、アルコールに弱い対立遺伝子はもつは、・・・とびっくりするほどの感受性遺伝子を持っているはずです。
 その遺伝子から予測されるリスクで、予防のため自分の肉体を削除しまわっていたら、一瞬にしてもう肉片のかけらさえも残っていないかも知れません。
 遺伝的に「パーフェクトな人間」など誰もいないことは、今までの古典的な遺伝学の研究で十分に嫌と言うほど分かっていたのに、何故パーソナルゲノムではその幻想のパーフェクトを期待するのでしょうか?
 そして、そのパーフェショニズムがとても危険な思想に近づく危なさがあることを、あれほど知っていたはずなのに・・・。 
 そうです。パーソナルゲノムの意味が少し違って取られてきているのです。つまり、そのゲノムの遺伝子がいつどう発現するのかのほうが大事なのです。その可能性を知る最初の情報がゲノムであるというだけで、確率的であってもそのゲノムがそのまま疾病に直結することは非常に希なのです。
 このところを間違えると、結局は「ゲノムなんか知りたくない」という妙で間違えた格好良さだけが、世間に蔓延していくことは、大変危険です。
 パーソナルゲノムの正当な意味づけを、冷静にかつ客観的に理解することが必要です。
 そうでなければ、遺伝情報という厳粛で有意義なプレイグランドで、さいころを投げて遊ぶだけの危険なゲームになってしまうのですから。