啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

ポズナン(Poznan)

 ポーランドの首都ワルシャワについで、人口第5位の都市ポズナン(Poznan)。
「966年、郊外のグニェズノにポーランドで最初のカトリック司教座がおかれ、ポズナンポーランド王国(966年当時はポーランド公国で、ポーランドが王国になったのは1025年)の最初の首都となった。
 異教時代のポズナンの神殿は取り壊されてポズナン大聖堂が建てられた。モンゴルのポーランド侵攻後、ポーランド国内の復興が必要になると西方からドイツ人などが多く招かれて入植した。それに伴いドイツ騎士団も元の拠点のハンガリーからやってきた。
 ポズナンは昔からの交通の要所であり、ハンザ同盟の加盟都市として繁栄した。17世紀の三十年戦争、18世紀の北方戦争に巻き込まれ、一時街は荒廃した。
 18世紀後半、第2次ポーランド分割によってプロイセン王国に併合された。19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトによってワルシャワ公国が建てられるとその領土に含まれるが、ウィーン体制下でポズナン大公国として再びプロイセン支配下におかれた。
 第一次世界大戦後、ポーランドの独立にともなってポーランド領となった。
 第二次世界大戦ではドイツ軍とソ連軍の激しい戦闘によりポズナン市街地全体の55%が破壊された。特に旧市街はその90%以上が破壊されたが、戦後、残された資料を元にポーランド人の手によって完全に復元された。
 スターリン批判直後の1956年6月には反ソ連暴動が発生した。ポーランド民主化した直後の1990年には市議会の完全自由選挙が行われた。1999年には地方自治体の再編が行われ、ポズナンはヴィエルコポルスカ県(大ポーランド県)の県都およびポズナン郡の郡都となった。
 交通の要所にある商業都市で、博覧会が頻繁に催され、鉄道や高速道路といった道路交通網のアップグレードが急ピッチで進んでいる。
 2012年にはサッカーの欧州選手権大会(ユーロ2012)の会場の一つとなる。夏至の夜に数千のランタン(天灯、スカイランタン)を天空に飛ばす宗教的な祭り「聖ヨハネ祭」で有名[1]。ユーロ2012大会の日程は夏至を挟むので、大会の開催期間中にこのランタンの祭りが行われる。」
(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%BA%E3%83%8A%E3%83%B3