啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

研究所における大学院教育の問題点

国立研究所などの研究機関には、大学とは異なる意味で、大学院教育が必要です。その必要性は、すでに20年以上前に徹底的に議論され、我が国最初の大学院大学総研大が設置されたことからも明らかです。その議論を、繰り返す必要は全くありません。
 そのうえで、大学では出来ない研究者育成を目指した専門性の高い高度な教育を、ポテンシャルの非常に高い少数精鋭のぢ学院学生に施すことこそ、研究所における大学院大学の本質ではなかったかと思います。
 それが、実際にどこまで実現できているのかが問題のように思われます。現実的には様々な要因が存在しますが、制度設計の変更や革新的なアイデアである程度は改善できると思います。
 しかし、もっと本質的な議論、つまり、研究所が留学生を獲得して大学院大学を行う意味、研究者を育成することの意味、どう国際競争力を身に付けた研究者教育をおこなうかという戦略的な方法論、そしてポテンシャルのある研究者候補としての受験生をどう見抜くか、というようなことを考えねばならないと思います。
 実は、研究者としての自分自身の在り方と正面切って向かい合った議論が必要だと思うのです。研究から逃避したり研究を諦めた研究者に、研究者教育を行う資格はありません。
 研究に向かっていく自身の姿、時として挫折してしまう自身、それでもあきらめない自身、興味と好奇心が知的探究心の根源でありたい自身、国際競争するなら勝つことを必定する自身、共同研究の楽しさを知る自身、とことん孤独と戦う自身、そんな研究者自身の経験や知恵を実体験とともに院生に伝達できることは、研究所における大学院生教育では必須なように思います。そして、それをまともに受容して自分で自ら伸びようとする院生候補者を見抜ぬけるような体制をどう構築するかということが問題でしょうか。