啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

3度目の啄木の歌碑

 岩手県陸前高田市の名勝地である高田松原に、1957年に石川啄木の歌碑を建立。刻まれた短歌は、
「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ」。
 たしか、この短歌は、生まれたての長男を亡くした深い悲しみを歌ったものと言われていたと思います。しかし、3年後のチリ地震津波で流出。
 1966年、その歌碑を再建。盛岡中学の先輩で言語学者であった金田一京助氏が揮毫した。しかし、これが「スリー・イレブン」(2011年3月11日)の東日本大震災津波被害で再び流出。
 今度は、
「頬(ほ)につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし 人を忘れず」
という、「涙を流しても拭うことなく・・・」の悲しい情景が思い浮かぶ短歌が歌碑に刻まれる予定とのことです。
 啄木は、1900年の14歳の夏に、盛岡中学の担任の引率で級友達と三陸海岸を初めて旅しました。この旅は、明治三陸津波の4年後にあたり、津波の供養碑も訪ねているとのこと。わずか26歳の生涯のなかで、弱冠14歳にして「砂」に人生の無常観をみていたとしたら、あまりにも悲しすぎる気をします。
 しかし、再三の津波被害に遭遇するこの地域には、次回に起こるべき津波に備えてこそ、人命最優先で被害のない善後策が必須と思われます。早急な復興とともに、減災への取り組みは、日本人全体の願いでしょう。
(参考引用:日経新聞2013年3月9日夕刊「文学周辺」”石川啄木「一握の砂」ー岩手・陸前高田市”(編集委員・和歌山草彦氏))