啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

Andrej SaliらのNature論文(2007)


若槻先生から紹介を受けたAndrej SaliらのNature論文「Determining the architectures of macromolecular assemblies」(2007)に感銘を受けました。456個のタンパク質からなるNPC (Nulear Pore Complex:核孔複合体)をどう決めるかという大きな問題に挑戦しています。
NPCは、約125MDaもある巨大タンパク質複合体。核孔複合体を構成するタンパク質群をヌクレオポリン(nucleoporin) といいますが、その構造を決めるためににはどうしたらいいのか?
 5〜10年前までは、ひとつのタンパク質の構造を決めるのさえ非常に難しかった時代を超え、現在では膜タンパク質や2分子の複合体でも比較的にそれらの構造が決められやすくなってきています。
 それでも、A. Sali達の問題は、456個もあるタンパク質複合体の構造を決めようとしているのです。その解への回答を、A. Sali達は「有りとあらゆる情報を使おう!」と主張します。「えっ、当たり前じゃん!」と思った、あなた。
そう言う前には、本当に「当たり前」だったでしょうか?
 かれらのこのメッセージには深い意味と提案が込められています。分野を超えて、この大きな問題を解こうというのです。もっと言えば、異分野の知識や技術を駆使して、この構造生物学の醍醐味ともいえる大きな問題を解こうとしています。さらに言えば、教授は専門分野が少し異なるので誤解もあるかもしれませんが、A. Sali自身はホモモロジーモデリングなどの構造生物学バイオインフォマティクスの専門家、いわゆるバイオインフォマティクスの専門家なのです。
 他人の産生したデータを用いて情報解析をおこなったり、データベースを構築したり、必要な関連する解析ツールを開発したり、・・まさに、これらはバイオインフォマティクスの重要な仕事です。しかし、一方で、教授達も「スカベンジャー(scavenger)」というあだ名で「いじめられた」ことも多々あります。スカベンジャーというのは、ハイエナのように他人が仕留めた獲物の残りをあさり回って生きていっている動物のことです。あるいは、ゴミ箱をあさる人のことを言います。ちょうど、ひとりのヒトの完全ゲノムを決定するのに15年も600億円もかかった時代、ゲノム情報解析を主体とする教授達には激しい批判が向けられました。
 でも、本当のバイオインフォマティシャンは、教授は「情報生物学研究者」とか「生命情報学者」というほうが好きですが、有る現象の全体を知識や情報から見通せる立場や能力を持っています。たとえば、タンパク質ネットワークだったり、遺伝子発現調節の全体的なオーバービューや、情報伝達系のカスケードを、様々な情報を集めて分析したり取得したりして可視的に表示できるようにする能力や技術をもっています。これは、まさにA. Sali達のいうことの前提となるのです。
 つまり、他人の、特に実験研究者の成果を待って、それを情報解析しまたは情報処理して他人に提供することが、バイオインフォマティクスの主体的な研究の流れでした。これ自身、教授は大変重要なことと考えています。(ゲノム関係では、最初から一緒に共同研究する例が増えててはきていますが。)
 一方、若槻教授は、一歩進んで、「バイオインフォマティクスの人達は、あるいは「情報」を扱う人達は、A. Saliのように、いわば「オーケストラの指揮者」になって欲しい!」と切望します。全体を見通す技術と能力の基盤に、自分たちが作ったデータベースの一番の利用者として自分達自身が活用し、次にどのタンパク質の構造を決めたら注目するネットワークが解けるのか、遺伝子発現はどの遺伝子やcis-エレメントをみたら良いのか、どの生物のゲノム情報が分かれば、その現象の理解が進むのかなど、まさに研究の総合的戦略立案を立て、それぞれの分野の専門家にその研究課題を提案し、自らも情報解析を行っていく。
 いつも、「お助けマン」のバイオインフォマティクスで、良い論文が出ても共著者の真ん中当たりの貢献度。これからの脱却を図り、堂々と第一著者や最後著者になれる研究全体のディレクションや知的で本質的なアイデアの供給を行える生命情報学者になろうとするのです。これが、「当たり前」でない、「あるとあらゆる情報を駆使する」という文言に込められたメッセージと思います。
 ただし、謙虚さを忘れてはいけません。指揮者の能力も知識もないうちは、「オーケストラの指揮者」などと自認してはいけません。ホテルの全体を把握しその街を熟知した「ホテルのコンサルジュ」として、皆さんのお役に立つことをまずは目指しましょう。そうすれば、大きな挑戦課題を解決に導いて、その実績から自然と尊敬を集めてきて、周囲から「指揮者」と呼ばれるようになるでしょう。
 システムズ・バイオロジーを超えた「丸ごと生物学」研究を指向する次世代の生命科学研究の先陣を、情報生物学者やバイオインフォマティシャンが切っていくのでしょう。また、実験をしながら情報を扱い、情報を扱いながら実験を行える若手の研究者の皆さん達、ことさら「情報生物学者」や「バイオインフォマティシャン」を意識する必要は全くないのです。まさに、「ありとあらゆる情報を駆使」し、そこで足りない情報を、「実験だろうが、コンピュータシミュレーションだろうが、データベースだろうが、あるいは、自分自身であろうが、共同研究だろうが」きちんと産生していく。そんなディレクションや自身で研究出来る人材が必要とされているのです。
 それにしても、「挑戦課題」がなければ、何も始まりません。その挑戦に値する「挑戦課題」を見つけ出すこと自身が、大きな「挑戦課題」かもしれませんね。これが、教授のよくいう「Question is more important than answer.(問題のほうが答より重要)」という格言に隠されているのです。