「獲得形質の遺伝」ばかりで批判されるだけのラマルク。晩年は、目が見えず、娘達に聞き取ってもらって著作活動を続けた悲運の偉大な進化学者。墓標に「きっとレベンジを!」と書かざるを得なかったラマルクの娘達。
しかし、「種が変化する」ことを見つけたのはラマルク。「生物学(バイオロギー)」という言葉を近代的意味で使い出したのもラマルク。無脊椎動物の研究の先駆者もラマルク。
フランス王が7月革命の動向よりラマルクが引き起こした大論争の動向のほうが気になっていたと言うほどの大人物。
その大論争の中心課題の「構造の前に機能がある」という主張の可否こそ、彼の真意であったのです。
もちろん、「前進的進化」概念への固執というのもあります。