啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

交響曲「モルダウ」

 「ヴルタヴァ川(チェコ語:Vltava, ドイツ語:Moldau)は、チェコ国内最長の川である。ボヘミア盆地の水を集めプラハを通って南から北に流れ、エルツ山脈とズデーテン山脈に切れ目を通り、北ドイツ平原に流れ出てラベ川(エルベ川)に合流する。 さらに、ドレスデン、マグデブルグ、ハンブルグなどの都市を潤して北海に抜ける。また、南に遡って、ボヘミヤの森をこえるとドナウ川に至り、黒海にそそぐ。 日本ではモルダウ川(ドイツ語)として知られる。川幅500メートルほどでプラハの旧市街と城下町を隔てている。」
(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%B4%E3%82%A1%E5%B7%9D


 「『わが祖国』(わがそこく、Má Vlast )は、ベドルジハ・スメタナの代表的な作品で、1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響詩から成る連作交響詩
 全6作の初演は1882年11月5日、プラハ国民劇場横のジョフィーン島にある会場で行われた。この曲は、毎年行なわれるプラハの春音楽祭のオープニング曲として演奏されることが恒例になっている。
 スメタナは1856年から1861年まで、故国ボヘミアを離れてスウェーデンヨーテボリでピアニストおよび指揮者として活躍していたが、この時期にリストの影響を受けて『リチャード三世』作品11(1857年 - 1858年)、『ヴァレンシュタインの陣営』作品14(1858年 - 1859年)、『ハーコン・ヤルル』作品16(1861年 - 1862年)の3曲の交響詩を作曲している。これらはスメタナの作品の中ではあまり知られていないが、特に国民主義的な作品ではない。
 チェコ民音楽として記念碑的な作品を交響詩の連作の形で創作しようとスメタナが考えたのは、オペラ『リブシェ』を作曲していた1869年から1872年の間のことであると言われる。当初は「ジープ」(Říp )、「ヴィシェフラド」、「ヴルタヴァ」、「リパニー」(Lipaný )、「ビーラー・ホラ」(Bílá hora )の5つの地名を各曲の題名として構想していたが、最終的には「ヴィシェフラド」、「ヴルタヴァ」、「シャールカ」、「ボヘミアの森と草原から」、「ターボル」、「ブラニーク」の6曲が作曲された。
作曲は『リブシェ』の完成後すぐに着手され、第1曲「ヴィシェフラド」が1874年に完成した。これと前後してスメタナは聴覚を失っているが、作曲活動は続けられ、最後の第6曲「ブラニーク」は1879年に完成した。
当時の聴衆にとって「交響詩」がなじみの薄いジャンルであったことに配慮して、スメタナは自ら解説を書いて楽曲の意図が理解されるよう努めた。さらに楽譜にも、標題のページだけでなく楽曲の各箇所に注釈が記されている。」

(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E7%A5%96%E5%9B%BD_(%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%8A)