啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

海野厚氏28才で没(大正14年)

 あまりにも短い作詞家・海野厚氏(静岡県出身)の人生。若干28歳の大正14年になくなっています。
 第1節の歌詞は、亡くなる6年前の大正8年作と言われています。
 なぜ、柱の傷は「昨年」ではなく「おととし」なのか?毎年5月実家に帰って、弟と背くらべする習慣だったのが、その年病気で帰れなかったからという説が一番有力とか。
 「柱のきずはをととしの、
  五月五日の脊(せい)くらべ。
  粽(ちまき)たべたべ兄さんが、
  計(はか)つてくれた脊(せい)のたけ。
  きのふくらべりや何(なん)のこと
  やつと羽織(はおり)の紐(ひも)のたけ。」