啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

「4番カビ付け」

 鰹節は、さらに大阪から江戸へと時間をかけて海上輸送で運ばれます。しかし、「節一乾」の1回だけの善玉カビの植え付けだけでは、長い海上路でしばしば悪玉カビの発生が起きました。また、江戸に到着した後も、鰹節を保管しておく過程で悪玉カビを払い落としては善玉カビを植え付けました。
 「カビがついては振り落とす」の繰り返しが、鰹節を良質化することを江戸の鰹節問屋が発見します。魚臭さが消えてうま味が増すというのです。
東の鰹節の一大産地が西伊豆の田子。いわゆる「伊豆節」です。江戸の鰹節問屋がこの良質化ノウハウを田子の鰹節職人に伝授し、3番カビ付けまで要求します。これが「本節」として誕生します。明治初年のことでした。
 その後に、明治40年代には、4〜6番カビ付けの「本枯節」が出現してゆきます。さらに、この鰹節製法が焼津に伝えられ、機械化も伴って発展します。 明治40年以降、土佐や薩摩から直接江戸へ鰹節は発送されるようになっていきます。
 なお、鰹節の分類によると、3番前後のカビ付けをしたものを「本節」といい、5番前後のカビ付けをしたものを「本枯節」といって、その上級と最上級の分岐点が「4番カビ付け」だったのです。