啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

2012-12-24から1日間の記事一覧

看取り

通院できる緩和医療が受けられる間はまだやりようもありますが、在宅での緩和医療になりますと、どこで「最後を看取るか」だけでなく、そこに至る介護はよほどの設備や人的な支援がないと、覚悟だけでは難しく、凄惨な介護現場と化してしまいます。 その意味で…

団塊世代の人生観と財政破綻の加速

特に、「旅行と趣味で預貯金を使い果たして死ななければ、いつ何事が起こるか分からない」と言った人生観に変わりつつある教授達の団塊の世代の人達が介護を必要とするとき、社会的な「姥捨て山」しか残っておらず、より若い世代から「自業自得」と冷笑される事態…

在宅介護の前提の崩壊

家族が核家族化したなれの果ての現在、「家族の崩壊」は時間とともに訪れる必然としか考えられない我が国では、在宅介護を基盤におく前提は最初から崩壊しています。これは、地域における人のつながりの消失と連動しています。 地域として子供を育て、地域とし…

緩和医療と「生と死」

もっと言えば、「生と死の選択」、あるいは「生きる質の選択(苦しんでも最後まで生き抜くか、苦しんでまで同じ状態で死んでいきたくたくないのか)」の問題まで、行き着いてしまいます。 それも、本人が決断できるならまだしも、その家族が本人に代わって決断せね…

医療の限界の絶対性と任意性

最新の医療技術の適用やその限界を熟知し、その患者さんの年齢などの特性や疾病の進行状況との狭間で最新医療技術をむしろ使う危険性を回避することの選択は、医師などの医療従事者だけでなく、患者本人やその家族が決断したり受け入れなければならない難し…

緩和医療を考える

緩和医療とは、「患者さんたちの痛みをどう和らげるか」がテーマの医療のことです。近年極めて重要な医療になってきています。 とりわけ我が国のような老齢化社会では、がんの終末医療やホスピスとの関わりの中で、緩和医療はもっと注目を浴びて行くでしょう。