啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

「天神信仰」

 菅原道真の有名な句「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」があります。九州・福岡近くの太宰府への左遷を大いに嘆き悲しんだ句です。 
 でも、何故後に「天神様」や「天満宮」として日本各地に奉られるようになったか?これは、雷と結びついた「天神信仰」に寄るものと言われています。
 約1100年前ものイベントやその名残りが、今も各地に受け継がれている有様は、歴史のすごみというか、人々の継承への執着というか、実に恐ろしくも見事というべきことでしょう。
 (参考)「天神信仰」とは、
藤原時平の陰謀によって大臣の地位を追われ、大宰府へ左遷された道真は失意のうちに没した。彼の死後、疫病がはやり、日照りが続き、また醍醐天皇の皇子が相次いで病死した。さらには清涼殿が落雷を受け多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)。これらが道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。
 清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられた。元々京都の北野の地には火雷天神という地主神が祀られており、朝廷はここに北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとした(御霊信仰も参照のこと)。道真が亡くなった太宰府にも墓所の地に安楽寺天満宮、のちの太宰府天満宮が建立された。
 また、949年には難波京の西北の鎮めとされた大将軍社前に一夜にして七本の松が生えたという話により、勅命により大阪天満宮(天満天神)が建立された。987年には「北野天満宮大神」の神号が下された。また、天満大自在天神、日本太政威徳天などとも呼ばれ、恐ろしい怨霊として恐れられた。」
(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E4%BF%A1%E4%BB%B0