啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

徹底的にインテリジェントであること

最近、「徹底的にインテリジェントであること」がいけないことのような風潮があります。専門的な研究者が、誰にでも分かるように話すことは極めて重要なことです。
しかし、そこには「自分は他の人よりたくさんの知識や知見を持っており、それを噛み砕いて話してあげる」といった、いわば上から目線の前提と態度が存在していることがあります。
この上から目線の前提は、時として十分に知性のある一般の人達に簡単に粉砕されてしまうことがあります。
逆に、誰にでも分かるかどうかなども気にせず、「知識も知見もわかる限り提示し、論理的に洞察深く知的であること」を「インテリジェントであること」と定義するならば、徹底的にインテリジェントであることの方が一般の人達にわかってもらいやすいことが多いことがあります。
つまり、たとえ専門語がわからないとしても、一般の人達の方が知性が高く常識的な知識から論理的に洞察や結論を理解してしまうことがあるからだと思われます。学歴や職種ではなく、インテリジェンスであることが問題であるとき、徹底的にインテリジェントであることが如何に非常に難しいことかが分かってくるでしょう。