啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

(電子)メールの秘匿性

 インターネットの成り立ちは、当初から秘匿性を排除したところから始まっています。ARPANETによるネットワーク同士をつなぐ、いわゆる「インターネット」のプロトコルは、秘匿性がないのではなく、それを排除してユーザーの利便性を優先した思想から始まっています。
 このため、インターネットでは、だれでもが何でも見れる前提が歴史的にありました。そして、だんだんとセキュリティが、その必要性とともに発展していったのです。
 約20年前に、ロンドンに留学していた教授は、人工知能の研究グループの部屋に入れられ、当時の先端的なコンピュータサイエンスの専門家と一緒に仕事をしていたとき、研究室の壁には「今日メールで書いたあなたの親戚の話は、明日には多くの他人があなたの伯母さんの趣味まで知ってしまっていると思え!」といった標語が英語で、至る所に貼ってあったことを思い出しました。
 つまり、「電子メールでやりとりした情報は、誰かによって必ず見られている」のが原則だったのです。
 実は、「クラウド」という他人任せの一極集中の情報管理は、自分の給料の額をどれだけの他人が知っているのかさえ、わからないところがあります。
 究極的には、どこでも信頼関係の程度の問題には帰着するのですが、皮肉なことに、最も秘匿性の高い通信手段は、封書による通信なのです。