啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

放影研(RERF)で講演

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 広島にある放射線影響研究所 (RERF: Radiation Effect Research Foundation)は、財団法人で、原爆傷害調査委員会(ABCC: Atomic Bomb Casualty Commission)から始まった長い歴史を持っています。
 教授の卒業生で放影研吉田健吾君の紹介で、放射線生物学/分子疫学部の高橋規郎先生から招待を受けました。
 講演は、「次世代シーケンサーを用いたゲノム関連研究の展開(Progress of genome studies using a next generation sequence)」として話をさせて頂きました。
 お会いしたり、お世話になった放影研の先生方を順不同で以下に書きます。
高橋規郎先生(たかはし のりお)(放射線生物学・分子駅学部)、大久保利晃先生(おおくぼ としてる)(理事長)、寺本隆信先生(常務執行理事)、藤原佐枝子先生(臨床研究部部長)、大石和佳先生(おおいし わか)(臨床研究部 副部長・臨床検査科長)、児玉和紀先生(こだま かずのり)(首席研究員:英国王立内科医学会フェロー、米国心臓病学会フェロー)、三角宗近先生(みすみ むねちか)(統計部研究員)、

(参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E5%82%B7%E5%AE%B3%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A
原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission、ABCC)とは、原子爆弾による傷害の実態を詳細に調査記録するために、広島市への原子爆弾投下の直後にアメリカが設置した機関である。
米国科学アカデミー(NAS)が1946年に原爆被爆者の調査研究機関として設立。当初、運営資金はアメリ原子力委員会(AEC)が提供したが、その後、アメリカ公衆衛生局、アメリカ国立癌研究所、アメリカ国立心肺血液研究所(en:National Heart, Lung, and Blood Institute)からも資金提供があった。1948年には、日本の厚生省国立予防衛生研究所が正式に調査プログラムに参加した。[
施設は、広島市の比治山の山頂に作られた。カマボコ型の特徴的な建物であった。
ABCCは調査が目的の機関であるため、被爆者の治療には一切あたることはなかった。 ここでの調査研究結果が、放射線影響の尺度基本データとして利用されることとなった。[3]
1975年、ABCCと厚生省国立予防衛生研究所(予研)を再編し、日米共同出資運営方式の財団法人放射線影響研究所(RERF)に改組された。