啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

平成23年秋の叙勲

 政府発表によりますと、平成23年秋の叙勲者で、教授と親交のある方が以下のように3人おりました。
 杉浦昌弘・名古屋大学名誉教授(75)と黒木登志夫・元岐阜大学長(元東大医科研教授)(75)が瑞宝章重光章を叙勲されました。
 特に、杉浦先生は、以前遺伝研におられましたので、今も大変御世話になっています。
 杉浦先生、黒木先生、誠におめでとうございます。

 小池正臣・前三島市長が、旭日中綬章を受けられました。現役の市長時代に、お世話になりました。 小池さん、どうもおめでとうございます。

註1)
「叙勲(じょくん)とは、勲位(勲等)・勲章を授けること。
勲位は本来は武人など勲功を挙げた者に対して授与された。日本の律令法(官位令)では、一等から十二等まで区分され、勲一等は位階正三位、勲十二等は従八位下に相当するとされた。大宝律令制定とともに始まったこの制度は、恵美押勝の乱孝謙上皇側が自派の将兵勲位を濫授したことで知られている。藤原純友の乱以後ほとんど行われなくなり、神社が帯びる程度となった。
 近代日本の叙勲制度は1875年の「勲章従軍記章制定ノ件」(太政官布告第54号)公布によって開始され、その際に勲位は勲等と改められた。当初は勲八等までで賞牌が授けられることとなっていたが、翌年に二等分増やされて十等となり賞牌も勲章に変更された。また、当初は武官のみを対象としていたが、1883年には文官、1892年には教育・社会分野と拡大され、広く国家に功績ある人物に対して贈られるようになった。
 第二次世界大戦後の1946年に生存者に対する叙勲は中止されたが、1963年に生存者叙勲が復活して翌年より春と秋に叙勲が行われるようになった。2003年には勲等の数字表記が廃止されて、勲章の格付概念としてのみ残されるようになった。
 しかし平成23年度春の叙勲については2011年3月11日に発生した東日本大震災の被害を考慮し、外国人叙勲、同褒章、第16回危険業務従事者叙勲とともに発令の延期を2011年3月24日に発表した。制度制定以来初のこととなる[1]。6月18日付けで発令され、4064名が受章した。」
(引用: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%99%E5%8B%B2

註2)
旭日重光章(きょくじつじゅうこうしょう) (旧勲二等)
旭日中綬章(きょくじつちゅうじゅしょう) (旧勲三等)
(部分引用: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%AD%E6%97%A5%E7%AB%A0