啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

(日) 「谷山–志村予想」とフェルマー最終定理の証明

数学において、「谷山ー志村予想」とは何かというと、Wikipedia には以下の説明があります。

「数学において、谷山・志村予想(たにやましむらよそう、Taniyama–Shimura conjecture)は、「すべての有理数体上に定義された楕円曲線モジュラーである」という主張であり、アンドリュー・ワイルズとその弟子クリストフ・ブロイル英語版ブライアン・コンラッド英語版フレッド・ダイアモンド英語版リチャード・テイラーらによって証明された。」

「今日ではモジュラー性定理またはモジュラリティ定理 (modularity theorem) と呼ばれ、数論における一つの帰結と考えられている。ワイルズは半安定楕円曲線における谷山・志村予想を証明することで、フェルマーの最終定理も証明した。」

  1955年9月に日光の国際シンポジウムで谷山豊という数学者が提出した2つの「問題」から数学的予想が始まる奥の深い問題です。

 数年前にテレビなどでも取り上げられて、この谷山豊という数学者が世間での一躍脚光を浴びることになります。

埼玉県騎西町(現・加須市)出身。開業医の家庭に、八人兄弟の六番目として生まれる。体が弱く、旧制浦和高等学校を2年休学して1950年に卒業。この頃に高木貞治の『近世数学史談』を読んで、数学者を志すようになる。

その後、東京大学理学部数学科、数学科助手を経て、1958年東京大学助教授に就任。同年5月、理学博士(東京大学。論文『Jacobian varietiesand number fields』)。10月には婚約が決まり、プリンストン高等研究所からの招聘を受けるが、その矢先の11月17日に豊島区池袋の自宅アパートでガス自殺を遂げる享年32(満31歳没)。」

そして、

その後、婚約者・鈴木美佐子も、遺書に「私たちは何があっても決して離れないと約束しました。彼が逝ってしまったのだから、私もいっしょに逝かねばなりません」[7]と書き残して12月2日にガス自殺を遂げている。翌年1月25日、谷山・鈴木両家による「葬婚式」が行われた。善応寺にある谷山の墓には彼女の遺骨も埋葬され、墓石には二人の戒名が並んで刻まれている。」

 自身と婚約者の自死は、この難しい数学に悲しいバックストーリーを提供しているようです。

引用:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/谷山–志村予想

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/谷山豊