啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

ファドの女王・アマリア・ロドリゲス

 ファドとは、ご存じのように、ポルトガルを代表する民族音楽。あまりにも宿命的で悲しくて、スペインのフラメンコよりは内向的ながらも、秘める情熱はろうそくの炎のようにめらめらと燃えるほどに強い、そんな音楽です。
 この音楽に、どこかアラビアの音楽に共通する情感を感じます。その由来や起源の共通性はないのかも知れませんが、情感や曲調のもつ抑制された感触は、破天荒な明るさとは遠く離れたものである点で、深く繋がっているのかも知れません。

 「ファドは、ポルトガルに生まれた民族歌謡。ファドとは運命、または宿命を意味し、このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を表すのは珍しい。1820年代に生まれ、19世紀中ごろにリスボンのマリア・セヴェーラの歌によって現在の地位を得た。
 イタリアにカンツォーネ、フランスにシャンソン、アルゼンチンにタンゴ、ブラジルにサンバがあるように、ポルトガルにはファドがある。主に「Casa de Fado」と呼ばれる(または「Casa do Fado」)レストランなどで歌われる大衆歌謡で、主にポルトガルギター(ギターラ)と現地ではヴィオラと呼ばれるクラシック・ギター(スチール弦使用)、(時には低音ギター(ヴィオラ・バイショ)が加わる場合もある)で伴奏される。」

「アマリア・ロドリゲス(Amália Rodrigues、1920年7月23日-1999年10月6日)は、ポルトガルの歌手、女優である。"ファドの女王(Rainha do Fado)"として知られる。ポルトガル語の発音的には、アマリア・ホドリゲス、である。」
 「アマリア・ロドリゲスは、ポルトガル首都リスボンに生まれた。両親はポルトガル中東部出身で、少女期は貧しい生活を余儀なくされた。しかし将来の大歌手は幼少期からその片鱗を見せており、良く歌を覚え歌うのも上手かったという。やがて一家の家計を支えるため様々な仕事に就いたが、18歳の時に一流のナイトクラブ「ファドの家(Casa do Fado)」に出演し反響を呼んだ。
アマリア・ロドリゲスは「ファドの家」を登竜門に、当時ファディスタの活躍の場を「ファドの家」と両極し担っていたミュージカルの分野でも成功を収め、ファド歌手として認められるようになった。
やがてアマリア・ロドリゲスは主演映画が作られる等、ファド歌手として以外に大衆的な人気も博するようになり、一種のカリスマとなった。フランソワーズ・アルヌール主演、アンリ・ヴェルヌイユ監督の映画「過去を持つ愛情(Les Amants du Tage)」(1954)で歌った「暗い艀(はしけ)」はファドではないが、彼女を代表する作品である。しかしファド界において孤高の存在となったことにより、後継者が育たなかった。
 1974年、アントニオ・サラザールからマルセロ・カエターノに至る独裁政権が崩壊すると、政権下で国家的歌謡として擁護されていたファドは氷河期を迎える。人々の心はファドから離れ、国民的なカリスマとして周囲の視線を集めたアマリア・ロドリゲスでさえも批判の対象に挙げられる事があった。
しかしその後20年の時を経、EU参加の動きの中で自国文化再興の兆しが出てくると、ポルトガルにおいても若者を中心にファドを再評価する動きが現れた。ミージアや ドゥルス・ポンテス、カティア・ゲレイロやマリーザといった新しいファディスタが次々に現れ、ロドリゲスの後を引き継いだ。
1999年に79歳で死去した際、ポルトガルは3日間の喪に服した。2001年にはリスボンサンタ・エングラシア教会に移送され、エンリケ航海王子ヴァスコ・ダ・ガマらとともに、国民的英雄10人の一人として眠っている。」<引用: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%82%B9 >

Amália Rodrigues - Estranha forma de vida (1965)
https://www.youtube.com/watch?v=uFgctURyGp4