啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

医療イノベーション推進室長を辞任

 東大医科研の中村祐輔教授は、内閣府の医療イノベーション推進室長を辞任し、日本を離れてシカゴ大学へ転出すると、本日付の読売新聞オンラインニュースが報じました。
 また、新聞記事では、顔写真入りのインタビュー記事も掲載され、「日本では新しい薬つくりは難しい」旨のことを話しました。
 友人でもある祐輔さんのシカゴ大学への転進は、残念なことではありますが、「創薬支援機構」構想が補正予算などでも前に進められなかったことなどがあるのかも知れません。

(参考)
読売新聞(2011年12月12日14時32分)によりますと、「新薬開発「日本は無力」…国の推進役、米大学へ」との見出しで、以下の記事を掲載しました。
 「日本発の画期的な医薬品作りを目指す内閣官房医療イノベーション推進室長の中村祐輔・東京大学医科学研究所教授(59)が、室長を辞任して来年4月から米シカゴ大学に移籍することが12日わかった。
 中村教授は今後、米国を拠点に、がん新薬などの実用化を目指すという。国の旗振り役が国内での研究開発に見切りをつけた格好で、波紋を呼びそうだ。
 同推進室は今年1月、仙谷由人官房長官(当時)の肝いりで、ノーベル化学賞受賞者の田中耕一さん(52)らを室長代行に迎えて発足。省庁の壁を取り払い、国家戦略として医療産業の国際競争力を強化するための司令塔となることを目指した。
 ところが、発足直後に仙谷長官は退任し、10月の第3回医療イノベーション会議には、それまで出席していた経済産業省内閣府の政務三役も欠席。今年度の補正予算や来年度の予算案策定でも、各省庁が個別に予算要求を出すだけで、「日本全体の青写真を描けなかった」(中村教授)という。
 中村教授は、ゲノム(全遺伝情報)研究の第一人者で、国際ヒトゲノム計画でも中心的な役割を果たした。中村教授は「国の制度や仕組みを変えようと頑張ったが、各省庁の調整機能さえ果たせず、無力を感じた。日本で研究した新薬を日本の人たちに最初に届けるのが夢だったのだが。せめて米国で新薬を実現したい」と話している。」
(引用:http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20111212-OYT1T00551.htm