啐啄同時

若手研究者を応援するオヤジ研究者の独白的な日記です。

「アチソンライン」とは

 今の日韓の「政治摩擦」から「経済摩擦」へと拡大する現状の背景を理解するには、韓国の文在寅政権が目指す南北統一の大きなリスクと、どうして朝鮮戦争が勃発したのかという歴史的な事実を知ることが必要と言われます。

そして、その朝鮮戦争勃発の誘因となったと言われるのが、「アチソンライン」です。

 

アチソンラインとは、「アメリカ国務長官ディーン・アチソン1950年1月に宣言した防衛ライン。アリューシャン、日本、沖縄フィリピンを結ぶ線をいう。」

引用:  

http://d.hatena.ne.jp/keywordtouch/%A5%A2%A5%C1%A5%BD%A5%F3%A5%E9%A5%A4%A5%F3

 

Wikipediaによりますと、

ディーン・グッダーハム・アチソンDean Gooderham Acheson1893年4月11日 - 1971年10月12日)は、アメリカ合衆国弁護士政治家ハリー・S・トルーマン大統領の下で国務長官を務めた。」

1945年8月、アチソンはトルーマン大統領によって国務次官に任命され、続く2年間にわたってアチソンはトルーマン・ドクトリンマーシャル・プランの立案に重要な役割を果たした。アチソンは革命の危険にある国々での共産主義の普及を停止させる最良の方法は、それらの国々の進歩的勢力と連携することであると主張した。」

1949年にアチソンは、マーシャルの後任として、国務長官に任命された。アチソンは国務長官として共産主義封じ込め政策を継続し、NATOの結成に尽力した。極東地域でも1950年1月、日本・沖縄フィリピンアリューシャン列島に対する軍事侵略に米国は断固として反撃するとした「不後退防衛線(アチソン・ライン)」演説を示した。ただし、この演説は台湾朝鮮半島インドシナ半島など除外地域については明確な介入についての意思表示を行なわなかったことから、朝鮮戦争の誘因になったとされている。同年1月には米国は台湾不干渉声明も発表しており、台湾海峡を防衛するとして第7艦隊を派遣したのは朝鮮戦争開戦から2日後の同年6月27日だった。」

 

引用:  

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ディーン・アチソン